しまねの職人

【石州和紙】1300年の時を超えて受け継がれる紙漉きの技

〜世界に誇る日本のものづくり〜

VOL.30

石州和紙協同組合 川平 勇雄さん

島根県西部の浜田市三隅町は、背後に山並みが迫る海辺の町。
ここで奈良時代から伝わる手漉き和紙「石州和紙」が作られています。
「石州」は島根県西部の旧国名「石見国」の別称です。

石州和紙とは、石見地方で作られる和紙の総称で、1989年に国の「伝統的工芸品」に指定されました。

石州和紙は封筒や便箋、色紙、賞状、画仙紙、障子紙などの文房具・日用品、
日本画や版画、工芸などの美術作品のほか、
丈夫だからこその意外な使われ方としては京都の二条城や西本願寺をはじめ
名だたる歴史的建造物の建具の補修や、欧米の美術作品や文献の修復にも使われ、
大英博物館やボストン美術館など世界各地の美術館からの注文も少なくないそうです。

1986年に設立された「石州和紙協同組合」には現在4軒の工房が名を連ね、
石州和紙の1300年の伝統を守りながら未来へつないでいくために、
新しいものづくりに挑戦しています。

石州和紙の伝統受け継ぐ紙漉き職人の川平さんにお話を伺いました。

石州和紙の歴史

石州和紙の歴史を教えてください
江戸時代後期に石見国(現・益田市)の紙問屋・国東治兵衛が刊行した「紙漉重宝記」によると、西暦700年代初めに石見国に国司として赴任した柿本人麻呂が紙漉きを伝えたそうなので、それから約1300年のあいだ石州和紙が受け継がれてきたといわれています。
平安時代中期に編纂された「延喜式」にも和紙の産地として石州の名が登場していますから、約1000年前にはこの地で紙漉きが行われていたということになります。
江戸時代には浜田藩と津和野藩が藩の貴重な収入源として製紙を推奨し、徹底した紙専売制度を敷いたため、石州和紙の名が広く知られるようになりました。
明治以降も冬場の農閑期の副業として紙漉きが盛んに行われ、明治22年(1889年)には6377軒が携わっていましたが、その後機械漉きの和紙の登場や生活様式の変化などによって廃業する家が増え、昭和23年(1948年)には279軒、昭和44年(1969年)には10軒まで減り、現在は浜田市三隅町の4軒の工房のみが伝統を受け継いでいます。
石州和紙の特徴を教えてください
“日本一丈夫”“千年もつ”“濡れても破けない”等々と言われるように、とにかく強靭な紙であることが最大の特徴ですね。
他の産地のものと比べて繊維が長い地元産の楮の靭皮を甘皮ごと使用し、日本特有の流し漉きという製紙技法で作られるため、折り曲げにも強いんです。
江戸時代、帳簿に石州和紙を使っていた大阪の商人は、火事になると大切な帳簿が燃えないように井戸に投げ込んだそうですが、水に濡れても紙が溶けることも破れることもなく、墨がにじむこともなかったという話が伝わっています。
激しい舞にも耐える強度があるということで、地元の伝統芸能・石見神楽の衣装や面、蛇胴などに使っていただいているのは、非常にありがたいことですね。
ものづくりで一番大切にされていることは
真面目に実直にやるということ、ごまかさず、真摯に取り組むことでしょうか。
さまざまなお客様と交わりがあり色々な注文がありますが、一つひとつ一生懸命に向き合って対応することが大切だと思います。
お客様からの声で印象に残っていることは
使ってよかったと言われることが、私たちとしては一番幸せなことですね。
お客様が使ってよかったと感じてくれなければ次はないですから、やはり使ってもらってリピートしてもらうのはありがたいことです。

石州和紙を伝承していくために

石州和紙を多くの人に伝え広めるために
新商品開発やマーケティングリサーチは当たり前のこととして常に行っています。
「これでいいだろう」と妥協してしまうとそこで発展が止まってしまいますから、今の社会情勢や世の中の流れを見ながら、どういうものが流行るのか、私たちはどういうものを作れるのかということを探求していく必要があります。
どうしたら石州和紙が世の中に受け入れられるのか…実際に石州和紙を使用されているのは年配の方が多いなか、若い人に石州和紙のよさを知ってもらうにはどのような商品を作り、どう発信すべきなのか、価格的な面を含めて日々模索しています。
また、浜田市内の小中学校の卒業証書は石州和紙で作られているんですが、石州和紙協同組合の教育事業の一環として、私たちが学校に出向いて生徒が自分の卒業証書を作るための紙漉きに挑戦してもらっています。
世界に誇る伝統工芸品である石州和紙を、地元の子供たちや家族の皆さんにも身近に感じてもらえたらと考えています。
若手職人の育成について
「仏作って魂入れず」とならないように、まずはしっかりと紙漉き職人としての自覚を持ってもらうことが大切ですね。
また職人というのは単に技術・技法を覚えればいいということではなく、紙漉きを修得したら今度は作った和紙を売って収益を上げ、工房を運営していけるようにならないといけない。
人脈を広げて販路を開拓したり営業したりといった行動力や交渉力も必要なので、そういう部分も含めて若手職人を育成していく必要があります。
今後の目標や、石州和紙の未来について
ちょうど世代交代が始まっているところですから、次の世代が将来に不安を感じることなく紙漉きの仕事を楽しんで続けられるようにしていかないといけません。
生活していくために十分な収入を得られること、確実な技術継承の仕組みがあることなど、安心して紙漉き職人を目指せるような魅力ある産地にしていきたいです。
そのためにはまず、石州和紙の需要を増やして収益を上げていかなければいけないのですが、ではどうしたらいいのか…。
伝統を守ることももちろん大切ですが、守るだけでは将来の展望は描けません。
石州和紙協同組合の4軒の工房それぞれの得意分野を生かして、その工房、その職人にしかできないものづくりに挑戦し、石州和紙の新しい魅力と可能性を引き出して発信していくことが、石州和紙の未来の創造につながると思っています。

石州和紙協同組合について

三隅という地名は、「水が澄む。みずすみ」に由来するといわれています。
由来の通り三隅町はきれいな水が豊富にあり、しかも紙漉きに適した中性の軟水なんだとか。
また風当たりの少ない盆地では、良質の楮がよく育つそうです。

石州和紙は三隅町の風土に根ざした伝統工芸品なんですね。
ちなみに三隅町は、日本でただ一つの“海を望む和紙の産地”だそうです。

やわらかな風合いをもったおたよりセットや、扇子などの日用品も多数作られています。
世界に誇る日本の伝統的工芸品「石州和紙」を、あなたの生活にも取り入れてみませんか。

商品ラインナップ

プロフィール

  • 石州和紙協同組合
  • 〒699-3225
  • 島根県浜田市三隅町古市場683-3
  • 【TEL】0855-32-1166
  • 【FAX】0855-32-1166
  • 【HP】https://sekishu.jp/

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